大きな河の街に引っ越して 来たわたしの日常。
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知ること。感じること。そして考える。
3月13日の新聞の見出し Katastrophe in Japan (日本の大震災)
3月11日。その日わたしはなぜか5時半に目が覚めた。とにかく目が覚めたので、少ししてネットでYahooニュースをチェックした。確かそのときは、トップページ上の「災害速報」欄に、東北地方のどこかで震度3、4という情報が載っていた気がする。
日本との時差は8時間のここスイスでの朝の出来事。それから、またすぐに、『二度寝』をした。その後、いつもの時間に起き、用意を済ませ、いつものように外出した。
午前中はいつものように過ぎ、たしか午後1時過ぎ、携帯に電話が入った。内容はわたしの実家から留守電が入ったというもの。
この時点でも地震に対する情報がなかったわたしは家族のだれかに一大事があったのではないかと思い、不安に なった。
結果その電話は自分たちの無事を知らせるものであり、ただそれと同時に日本で大震災が起こったというショックを受けた。
日本から離れて暮らしていると、ややもすると、情報が少ないため、実感が湧かなかったりすることもあるが、今回は慌てて帰宅すると、すぐ、同じヨーロッパに住むスリランカ人、イタリア人、ブラジル人の友人から「大丈夫?」とわたしの家族、友人を心配するメール、チャットが届いていた。
そして朝見たはずのYahooのトップニュースは信じられない写真、情報に変わっていた。自分が寝ぼけ眼で目にしたあの状況は嘘だったのか?と思うほど。
とにかくその後も出来る限りネットで日本のニュースを収集した。また同時に、震源地近くに住む友人、普段連絡を密にとっている日本の友人に連絡をした。
ただこの時点では正直、実際にはどこからどこまでがどういう状況なのか、実感できていなかった。
翌12日。この日は土曜日、朝からustreamを見る。
ほどなくして10時頃、同じくヨーロッパに住む友人から連絡が入る。「わたしの実家の場所も知っていて、日本にも行った事があるので地理は把握している。だから大丈夫だとは分かっているけれど気になって連絡をくれた」そんな電話だった。ほかにも被害状況が報道され続けるに従い、続々と日本を心配するメールが多く届き、若干対応に追われた。
昨日(14日)付けの20minuten(街角においてある地元の無料新聞)の誌面
Angst vor dem Super-GAU (原発に伴い想定される超最大級の恐怖)
他の国でもこのニュースが報道されているのか?と日本に住む何人かの友人から聞かれたので、わたしの周りの様子を。
連日トップページが日本の震災ニュース。そしてこの日は合計5ページに亘って特集記事。
Japan ein Trümmerhaufen-Atomalarm in AKW
またここで毎日見る事の出来るテレビチャンネル、スイス、イタリア、フランス、の近隣国は勿論、イギリスのBBC、アメリカのCNNも見る事ができ、その全てのチャンネルで日本の地震津波情報を報道している。
その他、インターネット上では多くの友人がPray for Japanというサイトに共鳴し、自分のfacebookやtwitter上でリンクをしている。
今回地震、津波の被害にあった友人は誰もが「自分は命があるだけで恵まれている」と言う。
海外のニュース速報では日本人の「道徳心」が謳われている。
日本を離れて暮らすようになって丸4年になるわたし。その間リーマンショックがあり、経済力が落ち、3年ぶりに帰った日本で元気のなさを感じ、こんな国だったかな?と自分の国にショックを受けたりもした。
だけど、この状況でも、こんな状況だからこそ分かる個人の姿、もちろん色んな人がいると思うが、少なくともわたしの周りは、他者への配慮がある。
株価はどんどん下がっていて、経済力の低下が危ぶまれるが、現状を把握し、やれる事をやる。
誰かが書いていたけれど、「不謹慎」という言葉が日本には強く存在しているが、状況を知り、今自分ができることをする。これでいいのではないかと思う。
個人的なことを書くと、昨日わたしは予定通りカーニバルを見に行った。こんな時に一人で楽しんでいいものか?とも思ったが、その一方で、今現場にいないわたしができることは限られている。友人や日本のことを想っていないわけではない。ただ、だからといって、無理に行動を規制しないでもいいのではないかと考えた。
もちろん、こんなときだから心底楽しめないというのはあったが、やはり行ってよかった。そのときだけは気分が変わった。
阪神大震災にあった日本がすぐに復興できたのは「消費しよう」という呼びかけもあったからという話しも聞いた。
計画停電が行われている地域に住む友人から届くメールには全てに「スーパー、コンビニどこに行っても品物がない」と書かれている。要は買い占めている人もいるのだ。今日のニュースで、日本の物は十分足りているので買い占めないでという呼びかけもあった。
またその一方で東北地方にいる友人は「ピンポイントで被害状況の激しい地域もあるし、このエリアだから大丈夫ということはない。だからかもしれないが、物資の提供が一部にしか届いていない」ということも言っていた。
考えれば考える程、色んな思いが交叉する。たまたま自分がここで暮らしているだけで、もし自分が今回の被災地に暮らしていたらどうだっただろうか?とか。
考えても答えは出ないが、『やみくもに動くのではなくて、自分ができることをちゃんと見極めて、相手のことを考えて。その中で、最大限、動きたい。』byさとなお
最後に今回被害にあった友人のことば
無事です。学校にいました。
昨日から電気が使えるようになりました。
経験したことのない揺れでしたが、
命と住むところがあるだけありがたいです。
私たちの学校は海から遠いのです。
学校は物が崩れたり倒れたり、ガラスが割れたり、
体育館の天井パネルが鉄骨パイプごと落ちたりしましたが、
奇跡的に怪我人がでませんでした。
当日の夜は、、ずっと向こうに、赤い炎が見えました。
はるか遠くで、見えるはずがなかった仙台港のコンビナートの火災だったようです。
当日、多くの生徒は帰れなくなりました。
海沿いの子は、まだ学校に残っています。
どこも、建物は丈夫で地震には耐えましたが、
津波にやられました。
海沿いの町は、全部だめです。
建物も何もなくなりました。
ニュースで報道されている以上の被害者がいるはずです。
家族、親戚、被害ありませんが、
海沿いの知人はわかりません。
やっとテレビが見られるようになって、
海沿いの人たちと比べて、
自分たちの状況がどれだけ恵まれていたか分かりました。
by moyo_european
| 2011-03-15 22:44
| 普段の生活